2013年5月28日火曜日

水流

 梅雨に入り雨がやまない日が続いていた。六月に入ってからの雀荘「ミナミ」の売り上げは目も当てられない。久しぶりに晴れた今日もお客さんは近所の爺さんが一人だけで、のんびりと茶をすすっていた。
 メンバーが集まるまで暇なので、雨で汚れた窓でも拭こうかと思った。ふとベランダ、といっても畳み半畳程度のコンクリート、を見ると水がたまっていた。
「ああ、こりゃいかんねえ」と爺さんが後ろから覗きながらそう言った。ゴミが詰まった程度だろうと掃除をしてみても一向に水ははけなかった。「手伝おうか」と爺さんは身を乗り出し、ちょいちょいと触ると水が少しずつ減っていくようになった。
「なんか詰まっていたんですかね?」と聞いた。
「錆やなあ、取り替えた方がいいやろう」とのことだ。売り上げが少ない今月には辛い出費だ。「それと傾斜が逆やなあ」
「ビルの傾斜ですか?」
「いや、ベランダの傾斜。これじゃあ水はなかなか落ちん。そやから腐食が進んだんやろ」なんでも昔は水道屋に勤めていたというこの爺さんに格安で直してもらった。持つべきものはお客様だ。「水は高いところから低いところに落ちるからな、これでええやろ。」と簡易的な傾斜をつけてもらってからは水はけの調子が良いような気がする。
 数日後、爺さんを含めた4人で麻雀を打っていた。トップ目の私は南入りしたので引き気味に打っていた。すると爺さんのダママンにあたり三着転落、次巡に運頼みリーチといったが、爺さんに追いかけられ、4着に転落した。
「水は高いところから低いところに落ちるからなあ。」と笑いながら爺さんは話す。「人もそうなんやろうなあ、体のほとんどは水や言うしなあ」
「どうやったら上から下に落とせますかね?」と社交辞令で聞いてみた。今のはただのミスで、しようがない。流れなんか考えたこともないが、こういう話を年寄りは好きだ。
「まあそれは水道屋の専売特許やいうことにしといてや」と笑った爺さんはこの日も勝ったり負けたりで一日をつぶして帰っていった。


人気ブログランキングへ

2013年5月19日日曜日

梅昆布茶


 雀荘の店長をしていると妙な常連客も寄り付いてくる。雀荘という商売上しようがないことなのかもしれない。やんちゃな若者や酔っ払いならなだめてやればいいが、ぼけた爺さんは特にやっかいだ。
 ヒフミさんは常連客の一人だった。御年74だというひふみさんは普段はいい爺さんなのだが突発的に大声を出したり牌を叩きつけたりしてしまう。つまりは呆け老人だ。少ない年金を握ってやってきてくれるのは嬉しいが、店の建前もある。そろそろ出禁の旨を伝えようと悩んでいた頃だった。息子を名乗るミロクさんが店にやってきた。
親父、帰ろう。とミロクさんはいう。だが、ヒフミさんは「お前は誰だ。息子なんぞいない」といって聞かない。親父、こんなになっちまって…と嘆くミロクさんの腕から龍の彫り物がちらりと見えた。
「店長さん、すまねえが、一局囲んでもらえないかい」と息子のミロクさんに頼まれた。ここは雀荘なので断る理由はない。「親父、麻雀打ちながらじゃねえと昔からおれの話聞かねえんだよ」隣のボケ老人は麻雀が打てるとなるととたんに機嫌をよくし、背筋を伸ばし卓についた。
 ヒフミ爺さん、ミロクさん、私での三人麻雀が始まった。私は大人しく帰ってくれればそれでよかったので、場を荒らさずじっとしていることにした。
 ヒフミさんが、ドラの北を抜く。一枚、二枚。数巡後さらにオタ風の西を暗カン。新ドラはイーピン。捨て牌はソーズの染め手模様、だが、テンパイはまだだろう。カンをしたときはツモ切り、わざわざカンしたのだからテンパイがベターだからだ。爺さんはこの辺りがぬるい。
 ミロクさんも同じ考えなのかソーズを強打する。
「ロン」メンホンドラドラに刺さる。私とミロクさんは目を見合わせた。
「囮じゃよ、ぬるいんじゃないかい。ミロク」さっきまでお前は誰だ、などとミロクさんに言っていたのに調子のいい爺だ。ミロクさんは目を少し赤らめ腕をまくった。龍の叫び声が聞こえるようだった。
「へえ、すまねえ親父。見苦しい麻雀を。男ミロク。約束を果たしにムショから帰ってきやした」物騒な話が始まり閉口した。二人の会話は終わらない。「引導を渡させていただきやす」引導も何もこの爺さんは隠居生活をしているはずだが。そう思い、ちらりとヒフミさんを見ると若々しい目をしていた。ぎらぎらとした炎を理性で小さくとどめて入るような博徒の目だ。
「わしの脳はもう長くはもたんから手短にな」博徒はじとりとそう言葉を滲ました。私はその声で手に汗を書いていた。
「カン」ミロクさんが2ピンを、さらに5ピンを「カン」くっと笑うヒフミさんは東をカンし手出し4ピン切りだ。考えたくはないが、2-5ピン待ちをミロクさんが潰し、ヒフミさんは34ピンの形から3ピンを重ね、334からの打4ピン。そうなるなら3ピンと何かのシャボが濃厚。問題は、テンパイか否か。
 私は邪魔するわけに行かないので、現物で一巡凌ぐ。
 場が沸騰する中、ミロクの選択は1ソーだった。
 しばらくの沈黙が続く。
ヒフミさんは山からツモを引き寄せた。
「ツモ」の発声と同時に卓上に顔を出したのは麻雀の神様1ソーだった。

 うなだれるミロクさんに、じいさんは暖かい微笑を向けた。麻雀が終わると、ヒフミさんはいつものとぼけた爺さんになってしまった。その日以来、ヒフミさんは来ていない。風の噂ではガンを患ったらしいが、真相はよくわからない。

人気ブログランキングへ

2013年5月13日月曜日

カプセル怪獣


雀荘の常連の親父が「また島田の優勝か」とぼやく。島田圭翁。プロ麻雀界の創世記から君臨する帝王。ミスターと呼ばれ、麻雀を打つもので知らないものはいない有名人だ。
「もう年なのに凄いですね、衰えを感じないっていうか」と世間話らしい返答をしてみる。
「でもそろそろ世代交代がみたいんだよなあ」と親父は想像通りの世間話らしい返事をしてくれた。
「世代交代の前に一度くらい囲んでみたいですね」
「島田とな、確かに。麻雀打ちの夢だよなあ。それこそ最近は毎回決勝で島田とあたるあいつがうらやましいよ。あいつだよあいつ、ほらへんてこなピエロのお面被った、なんていったかな、ああ、そうそう…」

 最近プロ麻雀界に奇妙な男が現れた。麻雀雑誌は、彗星のように現れた新人類!だとか、ネットが生んだモンスター!などと煽っているが、実際はただの根性無しの若者なのだと思う。
 お面雀士“ウィンダム”ネット出身らしい彼は顔を見せることを嫌いピエロのお面を被り卓につく。実力は折り紙つきで、毎回必ず決勝まで残る。だが、決勝ではなぜか打ち筋が甘く、毎回顔に、いや面に、泥をぬる結果となっている。麻雀屋の店長の私は本当は興味などないのだが、麻雀好きの最近の話題はウィンダムで持ちきりだ。

 夜。小遣い稼ぎのバイトに行く。
 やくざの代打ち。雀荘のけちな売り上げではクビが回らない、と自分に言い聞かせているが、たんに痺れるような麻雀が打ちたいだけだった。この商売を生業にした瞬間から、長生きする気などない。感性を磨くだけ磨いて潰れてしまいたい、とどこかで思う自分がいた。
 媚びうる組長の車に乗り、卓に案内された。毎回、やくざな人間ばかりが卓を囲んでいるが、今日は珍しく堅気風な若者がいた。話を聞くと、麻雀で稼ぎ、ここまでたどり着いたチンピラらしい。後ろ盾もないままこのレートに座れるのだから、本物なのだろう。

 勝負は五分五分だった。毎回接戦なのだが、それでも少しの隙で相手が落ち、なんとか生き残れていた。だが今回は朝まで五分で、勝負は持ち越しとなった。
「かーっ、この俺が場代負け?ありえないありえない」堅気の若者はそういいながら立ち上がる。「まあいいんだけどね、今日はこのくらいにしといてやるってことで」ふざけた口調だが実力は本物だった。きちんと生きていればまたいつか囲む日がくるだろう。「そうそう、組長さんこれ買わない?今度の決勝でおれの代わりに打つ権利とお面を。五百でどう?たぶんまた島田さんも残るんじゃないかな?」若者は、組長にピエロのお面をはした金で売っていた。

人気ブログランキングへ

2013年5月6日月曜日

能ある鷹


(第一打は麻雀の神様、鳳凰さまから。)
 雀荘に通う青年イチはそう思いながら第一打を放つ。だがこの局は積極的に前に出ない。配牌が悪いときにじっくりと構え育てるような男ではなかった。イチは早々にこの局を捨て、上家の親に鳴かれないようにじっと身を潜める。対面の店長が軽上がりをしてくれたので上出来だ。
 次巡、店長の親で赤2枚の好配牌。
(好配牌は攻配牌ってね)と手を進める。
第一打は2sから。普通なら食いタン赤2に育てそうなものをイチはそうは打たない。はじめから1sと何かのシャボに構える。
「リーチ」
 イーソーと8mのシャボ第一打の2sがミソだ。店長が一発で振込み、このマンガンを守りトップを手に入れた。
 イチはその日もしっかり小遣いを握って帰り、繁華街に消えていった。
「店長イチさんと相性悪いですね」店員が店長にそう言う。「うまいですよね、どっしりと構えて能ある鷹は爪を隠すっていうんですかね」という言葉に店長は「そうだよねえ」とのんびり返していた。

 繁華街。イチは今日もキャバクラZEROに入り浸っていた。麻雀で稼いだ金はすべてここに消えていた。
「あかねちゃん今度絶対デートしようよ!」
「そうねえ、新作のバック買ってくれたら考えようかな」
「おうおう、まかしちょきなあ、約束だぜえ」とイチは上機嫌だ。

 キャバクラの店員が店長に耳打ちをする。
「店長、あかねちゃんの客、あんな身なりなのになかなかパンクしませんね。どこかのボンボンなんでしょうか」
「ふっ、麻雀打ちだよ」
「麻雀打ち?それであの豪遊ってことは相当の腕なんですかね」
「さあなあ」とそういうと店長は電話がかかってきたのか外に出た。

 外に出ると大きな黒い車からやくざの親分が降りてきた。
「おい、用意はできているか」と一言声をかけると店長はキャリーバックに入った大金を渡した。「今夜は大事な一戦よ」というと車に入ると、隣に座る代打ちにへこへこしてやがる。とても強そうには見えねえたたずまいなんだが当分この代打ちを雇っている。

 なんでも昼間は麻雀屋の店長をしてるのだとか。

 だがまあ負ければ代打ちが飛ぶだけよ。ついでに組も飛ばしてくれりゃ俺も少しはましな地位に昇れるんだが、おっと、こいつは秘密だ。能ある鷹は爪を隠すってな。

人気ブログランキングへ

2013年5月3日金曜日

CUT COPY



―対面のCut Copy(以下CC)のリーチ。早い巡目の親リーだ。捨て牌を見ると3mを切った後の宣言牌4m。25mが本線。無難に降りるべき。浮き牌はドラの“白”とオタ牌の“西”。迷わずに西を選ぶ。
CC         「ロン」
―西単騎のチートイツ一発ドラドラ。
CC         「親のリーチに対してシャンテン押しする可能性15%」
「タンピン系で手を進めるときオタ牌を残す可能性82%」
「リーチ後浮いたオタ牌を打つ可能性90%」
「現状最も“ラモン”に有効な待ちは“西”」
「有効な待ちは“西”」
「有効な攻撃認定」
「データを追加します」
ラモン    「この西を狙いに来るのか。噂どおりのイカレたコンピューターじゃないか。だが常に進化するラモン様の麻雀を捕らえられるかな?」
―その後、また余剰牌を狙われてのチートイツ一発放銃。
CC         「ロン」
ラモン    「む」
―次巡リーのみに刺さり、飛んだ。
CC         「ロン」
              「ミッションコンプリートミッションコンプリート」
―そして俺のネット麻雀AAAクラスのアカウント“ラモン”を奪われた。

ネットの噂          
IDを奪うウイルス?」
「そう。運営も手を焼いてるって。上位ランカーの半分はやられたんだ。」
「トップランカーのラモンも消えちまったんだろ。」
「ウイルスがアカウントを消しちゃうの?」
「麻雀で負けたアカウントを、な。」
「コンピューターに上位ランカーが簡単に負けるもんか。」
「それがそのコンピューター、相手の情報を読み取ってそいつに合わせた最適行動をしてくるんだと。」
「個人戦特化のデータ麻雀。サシ馬相手との戦績は無敗。」
「その名もCut Copy。」
「へえ、面白そう。じゃあ俺がその記録を止めてやるよ。」
「引っ込みな雑魚。」
「残念ながらCC500戦以上打ったAクラス以上のアカウントとしか打たないんだと。」


ダニー    「全くはた迷惑なウイルスだよ。おれのラモン垢も潰されちまったし。結構時間かけてるんだぜ?」
           「で、かの有名な元ラモンさんがBクラスのぼくに何の用ですか?」
ダニー    「デコピエロくん、あんたが凄腕のハッカーだって聞いたんだけど。」
ピエロ    「噂でしょう?ただの引きこもりですよ。」
ダニー    「あんたならあのウィルス止める方法知ってるんじゃないかって。」
ピエロ    「話聞かない人ですね。でも知ってますよ。噂ですけど。」
ダニー    「さすがはネットに張り付いた生活を送ってるだけあるね。聞かせてよ。」
ピエロ    「・・・一度でも負ければ止まる設定をしてるみたいですよ。あくまで噂ですけどね。Aクラスの皆さんがしっかりしないとネット麻雀最強の座をコンピューターウィルスに取られちゃいますよ?」
ダニー    「へえ。そいつは分かりやすくていいな。それともう一つお願いがあるんだけど。サーバーに潜り込んで、おれのデータを書き換えてくれないかな?」
ピエロ 「無理ですよ、アカウントの情報を書き換えるなんて。第一ただ潜り込むのにだって何日かかるか。麻雀のし過ぎでついに脳みそ解けました?」
ダニー    「時間はある。俺が500戦打たなきゃいけねえ。」
ピエロ    「・・・?」「AAAクラスのアカウントを上書きするんじゃないんですか?それなら実力あるんだから、新しいアカウントで勝負したらいいじゃないですか。」
ダニー    「あんたに書き換えてもらいたいのは、俺の情報。勝率はどうでもいい。リーチ率。フーロ率。放銃率。アガリ率。シャンテン押し。全てだ。CCと打つ資格を取ったあとの新しいアカウント“ダニー”のデータを、消されたラモンの戦績にしてくれないか?記録は残してある。」
ピエロ    「それになんの意味が?」
ダニー 「一度躓いたからには同じところから歩き出したいのさ。」
ピエロ    「めんどくさい性格ですね。」
ダニー 「よろしく頼むぜ、天才ハッカー。」
―数日後
ダニー 「出来たかい?こっちはとっくに準備完了だぜ。」
ピエロ 「いつでも書き換えられますよ。なんなら名前も。段位も。AAAクラスに戻しますか?」
ダニー    「いや、そいつはいい。別に肩書きはどうでもいいから。」
ピエロ 「そうですか。…1つ、潜り込んで分かったことがあるんですけど。あのウイルスIPアドレス付ですよ。」
ダニー    「ん?どういうことだい?」
ピエロ    「プログラムじゃないってことです。あいつはウイルスなんかじゃない。ただの人間です。裏でプレイヤーが操ってます。」
ダニー 「あぁ、そういうことか。」
ピエロ 「驚かないんですか?データを見られてるとは言え、いまだ無敗中なんでしょ?」
ダニー 「AAAクラスになるまで打ってると相手の呼吸くらい聞こえる。嘘じゃないぜ。なんとなく分かってたよ。だからこそ、負けたくないんだ。」
ピエロ 「そうですか。まぁ、ご検討を。」
ダニー    「久しぶり。」
CC         「アカウント カケル サシウマ ニギル ?」
ダニー 「あぁ。またしびれさせてくれよ。」

CCの早いリーチに対し、一発でドラを切るダニー。
ダニー    「今度こそ潜り抜けさせてもらうぜ。」
―その後、テンパイを入れなおし、リーチ。CCの放銃。そこからダニーの猛攻が始まる。
ダニー    「負ける気がしねえ。こういうのを人間さまは流れがきてるっていうんだぜ?」
―得意の早上がり。先制リーチで場を流していく。オーラス。CCとの差は12000点、ハネツモ、マン直で捲くられる。CCのリーチがかかる。手には安牌らしき1sが三枚。ドラの8mが2枚。1sに手をかけようとしたとき、脳裏に東一局、また以前飛ばされた時の情景が浮かんだ。
ダニー    「この選択をするために、俺は戻ってきたんだ。フォームを守るのか。セオリーを守るのか。悩んだとき、最後に何を信じる。おれは感性を信じたい。フォームは崩れていい。崩れたらまた積み上げればいいんだ。目の前の勝負に潜り込め。感覚で選ぶのは、当然。」

ピエロ 「惜しかったですね。」
ダニー 「見てたのか?いい勝負だったろう?」
ピエロ 「最後のドラ押しは意地ですか?」
ダニー 「ん…いや最善手だろうと思う。読みきられちまったね。」
ピエロ 「痺れました。またやりましょう。」
ダニー 「・・・え?」
ピエロ 「I’m Cot Copy.

―画面では未だCCが「ミッションコンプリート」と声高に叫んでいた。

人気ブログランキングへ

あいつによろしく



東京のオフィス街のとあるビル。僕はここの会社の営業マンとして働いている。働き始めて3年とすこしがたった。
「何回同じこと言わせたら気が済むんだよ!本当にいつまでたっても使えない奴だな!」と言ってくる部長に対して、すみません、と謝ることにも何も思わなくなってきた。毎日同じ電車に乗り、同じ時間に会社に行き、同じような仕事をこなしている。これを乗り越えるのが人生だと言い聞かせてはみるが、本当にそうだろうかと何度も思う。

 休みの日、懐かしい駅に降りた。大学のとき、毎日見ていた駅。この街に来るのも何回目だろう。仕事に疲れるとここに海を見に来る。学生の頃住んだ街に来ると、なぜか落ち着く。海を眺めながらタバコに火をつけた。(飯でも食うか)と思い、歩いていると懐かしい看板が目についた。雀荘「トンチンカン」の看板。
「懐かしいなあ。」ふと口から言葉が出た。雀荘の階段を昇った。学生のころ友人たちと何度か来た雀荘。遊ぶといったら麻雀だったなあ。
「いらっしゃいませー!すみませんね、お客さん今ちょっと僕だけで…」
 目の前には、大学のときの友人のケンジがいた。
「ケンジ…?お前会社は?」
「やめたよー」けらけらと笑いながらケンジはそう言った。
「やめたって、お前今何してるんだよ!」
「ここでバイト。アキこそなにしてんの?まぁ、座れよ。」
 雀卓のいすを引かれながら、久しぶりに大学の時のあだ名で呼ばれた。
「はぁ、なんで辞めちゃったんだよ。人間関係とかか?」
「いやまぁ、」苦笑いしながらケンジが言う。「なんとなくだよ。なんとなく違う気がしたんだよね。」といいながら棚をごそごそとするケンジ。
「コーヒーでいいか?」
「あ、あぁ…ナシナシで。」
 
 気まずい沈黙が流れる。沈黙に耐えられなくなったのか。
「暇つぶしにゲームでもするかあ。」とケンジが口を開いた。麻雀牌を伏せてかき混ぜている。「面子足りないときによくしたよな。」ケンジがそう言い、思い出した。
「おお、懐かしいなぁ。牌の種類を当てるやつだな?」
 伏せた麻雀牌が、ピンズかマンズかソーズか、字牌かを当てるだけのゲーム。4人集まるまでの暇つぶしによくしていた。
「先に三回当てた方が勝ちな、ぴーんず。」
 そうケンジがいい、めくる。牌はイーピンだった。
「ほれ、おまえだぞ。」
「…マンズ。」ソーズの6.外れだ。「で、何で雀荘にいるんだよ。」
「あー、なんとなく駅歩いてたらさ、この店のこと思い出して入ったんだよ。で、ここのマスターとな、ちょうどこのゲームしたんだよ。そしたらここのマスター…百発百中で当てやがったんだ!すごくねえか!マンズ!」
 マンズの5。ケンジ的中。
「…で?」
「会社辞めてバイト。」
「馬鹿馬鹿しい、ガン牌か何かだろう?」
 字牌を指定してめくると白だった。当たりだ。
「と、思うだろう。ところがここの牌は俺が毎日磨いてるんだなあ。」
「ケンジ麻雀好きだったもんなあ。」
「でもアキの方が強かったよ。」
「そうだっけか?」
「うん、上手かった。…ふぅ、イーソー、かな。」ケンジがめくった牌は、イーソーだった。当てなくてもいい数字までぴしゃりと当てた。「俺の勝ちだな。」
満足げにケンジは笑った。

「やっぱりガン牌なの?」そう聞くと、くくっとケンジは笑った。
「なあ、牌を触るときって別に見てなくても触れるだろ?」
 ケンジは俺のほうを見ながら手元の牌を触っている。
「まあ、触れるよね。」
「人間ってさ、わざわざ牌を見なくてもなんとなく触れるじゃないか。これって機械にできない人間だけの能力だと思わないか?」俺のほうを指差しながらケンジは話続ける。「このなんとなくを俺は積み重ねていきたいんだよ。」

「なんとなく触れる、なんとなく選ぶ、そしてなんとなく上がれる、そうなるのが今の目標なんだ」にこりと笑うケンジの顔が胸に刺さるような気がした。


「それが会社辞めた理由?」
「ああ、おれはなんとなくこっちの生活のほうがあっていると思う、おかしいだろ。笑ってもいいぜ?」
「いや、うらやましい。」素直にそう思った。「俺にその感覚はないみたいだ。」

「あるよ。」

「え?」

「ある。…イーソー」
そういうとケンジは数多くある牌の中の二枚をめくった。イーソーが二枚、めくれた。さっきのイーソーと合わせて三枚めくれている。

「ひけよ、お前なら」
 
 ケンジはこちらの目を見ながら

「お前なら引ける。」

そうはっきりと言った。どきどきと自分の心音が聞こえる。目の前のことにももちろん驚いていた。でもそれだけじゃなくて、もしかしてこの牌を引くと、僕の生活はまったく違うものになるかもしれない。なんとなく、そんな気がしていた。ドクドクという自分の心音を聞きながら、牌に手を伸ばし、人差し指と薬指ではさみ、中指を添えた。そのまま上に上げ、


バンッと辞表を部長の机にたたきつけた。口の開いた部長を背中で感じながら、会社を出た。自然と口元が緩む。雀卓の上に微笑むイーソーをまた思い出していた。


人気ブログランキングへ

箱の中の箱



 ある日、目が覚めると隣の部屋の親父が見えた。下をみるとカップルの添い寝が、後ろを見てみると女の着替えが目に飛び込んできた。頬をつねる。夢ではない。

 透視能力を手に入れたのだ。

 急いで雀荘に駆け込んだ。競馬でもパチンコでもだめ、この力で金を稼ぐにはもっとも麻雀が有効なはずだ。配牌を取り、対面の親父の牌を覗こうとすると、親父の全裸が見えた。違う。もっと手前。牌を見たいんだ。目の焦点を合わすことに気を取られ、兄ちゃんツモ番だよ。と何度も指摘された。すみません、と頭を下げながら何度も挑戦するうちに全員の手牌が透けるようになった。こうなったらしめたものだ。これでもう誰にも負けない。億万長者だ。

 そう思ったが、思いのほか稼げなかった。当たり牌を止めることも、安手に差し込むことも容易にできる。だが、リーチをして蓋をしてしまえば追いかけられ、まくられることもしばしばあった。それに牌が透けようが相手の手を止められないことにはどうしようもない。山を見ようとするも、雀卓が透けたり、見たくもない親父の下半身が見えたりと気持ちが悪くなった。
 
だが、気づいた。この力はコントロールすることができると。

家に帰り、ダンボール箱の中にダンボールを何層にもつめた。部屋でじっと箱を見つめる。箱の中の箱。の中の箱。またその中の箱。その次はその外の箱。またその外の箱。という風な練習を繰り返した。練習を始めて一週間後、雀荘にもう一度いき、山をちらと見た。見える。すべての牌が。もう誰にも止められなかった。
こんな力がいつまで使えるか分からない。使えるうちに稼いでおいたほうがいい。流れ流れて高レートのマンション麻雀までたどり着いた。今日勝てば3000万ほど手に入る予定だ。次はそいつを軍資金にカジノでバカラと大儲けさ。相手はしがない親父とやんちゃそうな若者、そしてその筋の方とお見かけするオールバックだ。だが、まあ関係ない。どんなレートでも、どんな相手でも負けることはない。
いつもどおりの圧勝劇が続く。だが、いつもと違うのは対局者たちの目が死なないことだ。今までの相手は圧倒的な実力差で5連勝もすれば途端に覇気がなくなったものだが、さすがにこのレートに座る猛者は違う。一体どんな修羅場を潜ってきたんだろう。

その時、対面の親父の声が聞こえた。

「これに負けたら殺される」と。驚き、目を見張るも対面の親父はこちらを見向きもせず、牌に祈っている。脇の二人も気にしてないようだ。もしかして、今のは心の声か。そうなると、この力はまた一歩強大なものとなったんじゃないのか。やんちゃな若者はこの対局に勝てば組の仲間入り。オールバックは瀬戸際の代打ちで、これに負けると食い扶持を失うことが心を読んで分かった。残念だが、こちらも負けてやるつもりはさらさらない。全員仲良く落ちていきな。
決定打を上がろうとしたとき、対面の心の声が聞こえた。「幸いここには4人しかいない。このまま負けて殺されるくらいならいっそ“こいつ”で」胸を透視すると、ナイフが隠されていた。まずいな、最悪勝ち金を減らしてでも生きて帰ろう。金ならなんとでもなる。やくざに差し込み場を収めてもらおうか。そう思い、やくざを見ると、「こうなったら“こいつ”で片付けよう」という声が聞こえた。やくざの胸ポケットに沈むピストルが見えた。若者も若者で、スタンガンを隠し持っている。
危険だ。早くここから逃げ出そう。とっととやくざに振り込んで収めてもらおう。そう思いやくざの当たり牌を抜き打ちしようとした瞬間、親父にナイフで胸を刺された。血が凍った。我に返ると、刺されてはいない。それどころかまだ牌も切っていない。

未来まで見えるのか。

自分で自分が怖くなった。なら親父に差し込もうと当たり牌に手をかけるとスタンガンで電撃を浴びる衝撃が全身に走った。若者に差し込むとまた親父のナイフが胸に。この決定打をツモ上がりすればピストルで打ち抜かれる。関連牌以外を切れば下家のやくざがツモ上がりをする。これが生還の道か。
やくざがツモ上がりをし、差し込んでやくざの一人勝ちを演出する。命からがら逃げ出した後は、カジノで大富豪になった。人の心も未来も見通せるこの力を止められるものはいなかった。だが、金を手に入れても虚しいだけだった。金目当てによってくる下種どもの心はお見通しだし、たまに信頼を寄せた人間も金を手にすると人が変わった。人間に嫌気が差し、書斎に引き篭もるようになった。本を読み、寝る。ただその繰り返し。こんなことなら、こんな力は授からないほうがよかった。
我に返ると雀卓を囲んでいた。親父と若者、やくざが怪訝な顔をしている。どうやら、遠い先の未来まで見えたらしい。軽く笑い、ツモ上がりを選んだ。パン、という銃声が脳天に響いた。

人気ブログランキングへ