2013年6月25日火曜日

アリゲーター

 扉を開けた瞬間、その喫茶店の評価は済む。コーヒーと煙の混ざり合った匂いを嗅いだだけで、分かる。この一瞬のためにここに通っている。
 いつもの、を飲みながら先の雀荘を思い出す。
 久しぶりに扉を開けた瞬間、いい雀荘だな、と思った。雀荘も喫茶店と同じで、入ったときの煙と熱の匂い、さらにいうならそれらが染み込んだ壁を見るだけで品位が分かる。ここは社会的品位が限りなく低そうで、つまり、私にとっては、品位が限りなく高そうな雀荘だった。

 卓につき、匂いの主な原因であろう大男と麻雀を打った。
 日ごろの行いがいいのか、先日ホームレスに発泡酒をくれてやったおかげか、手が軽かった。

 二巡目にしてチートイツテンパイ。待ち牌は絶好の一枚切れオタ風、南。
 だがここで、ツいてる、と曲げないのが俺流だ。
 期待値、だとか、鉄リー、なんて言葉に頼る人間にこそ効く。最近は素人さんでも引きが上手く、硬い。しかもそれは養われた肌感覚ではなく頭で覚えた期待値というのだから感心する。残り2枚の南、固められないためにはどうすればいいか。

 七巡目、対面の大男と上家がイーシャンテン気配。
 ここだ。
 ここで、ツモ切りリーチ。

 残り枚数が少ないペンカンチャンや単騎待ちを看破されるのは珍しくない。しかし相手がイーシャンテンなら話は違う。イーシャンテンには二種類ある。
 一つはこの大男のように受け入れを重視してぶくぶくに構える形。にやりと笑い大男も追いかけリーチ。待ちは宣言牌の近くだろうか。
 もう一つ、上家さんのように安牌をかかえ、スリムに構える形。頭のいい、スマートな打ち手。

だが、悪いがもう引きずり込んだあとなんだ。そいつが、ロンだ。

 結局そのままツキの雪崩は起きずに小遣いを拾って帰ってきた。このコーヒーを飲んだらまた違う雀荘に行こうか、それとも先ほど二着ににやりとぶらさがっていた大男と打ち直そうか。珈琲の匂いを嗅ぎながら、先の雀荘の匂いを思い出し、今晩の予定を決めた。
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2013年6月19日水曜日

アサ

 私の部屋には一ヶ月ごとにこうして新しい少年が訪問してくる。大体は親子連れだ。口に咥えたシナモンスティックを離し、目の前の少年と話をする。はじめまして、とか。君の名前は、だとかというありきたりな問いに対し、彼は頭を掻き毟り、聞き取りにくい言葉を空中に散布する。
「すみません、もうすこしで落ち着くとは思うのですか」母親は狼狽しながらも少年をかばう。こういう光景を見るたびに母性の美しさを目の当たりにしたような気分になる。

 私の部屋に訪れる麻薬中毒者は年間で12人だ。
 私は非営利団体を、なんて胡散臭い言葉は使わないようにしているがしていることは似たようなものだ。麻薬中毒者の人間と向き合い、症状を軽くする。そんなことをしながら親から莫大な金を戴いている。
 母親が帰った後、彼を部屋に案内する。
「麻雀?」部屋にある三台の緑色の台の存在を知っているのなら話は早い。

 彼に麻雀のルールとこの部屋のルールを説明した。といっても麻雀のルールは使い古された本を渡しただけだったが。
 この部屋のルールは簡単だ。
一日の初めに賽で台を決める。
一日、同じメンツで打ち続ける。
トータルトップならなんでも好きなことができる。それだけだ。
「好きなこと?」
「なんでもいい」
「薬が欲しい」
「くれてやる。勝ち切れたらね」

 麻雀は不思議だ。勝っていても一瞬のミスで負ける。そのくせ、負け癖がつくとどんな幸運すらも手から零れ落ちる。負の連鎖が身を焦がす。這い上がれなくなる。だが、止められない。その身を焦がす思いから開放されるためには、打ち続けるしか道はない。

 少年は一週間、一度もトップに立てなかった。爪を噛み、頭を掻き毟り、頬を抓り、顔を洗い、据わった目で牌を見つめる。そんな生活を何日も続け、彼が入居して22日、やっとトップで一日を終えた。

「おめでとう、何かほしいものはあるかい」
「麻雀が強くなりたい、麻雀を教えてください」

 これで彼はもう麻薬中毒者じゃない。

 立派なジャンキーには違いないが。

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2013年6月11日火曜日

ボール

 息子に、久しぶりだね。と言われた。そうだなあ、とボールを受け取りながら言葉を返す。そして、息子にボールを投げ返す。息子の胸めがけて、そこを見つめながら、ビュッと投げた。でもどうして急にキャッチボールなの?
 
昨夜、サラリーマン麻雀に付き合わされたストレスを発散するため、途中で抜けだし、近くのフリーに入った。麻雀を上手いほうだとは思わないが、大負けせずに場代程度を払って帰る程度の実力はあるのでいい趣味だと思っている。だが、知った顔にへらへらしながら酔っ払いと牌を交えるほど社会に染まってはいない。
 卓に案内されてから、いつもどおりの勝ったり負けたり麻雀を繰り返していた。必死に打たないと大負け、だが、必死に打ってもちょい勝ち。これだから麻雀はやめられない。テキトーに打ってマンガンが成就されるサラリーマージャンなど何が楽しいのだ。
 対面の親父が勝ち頭だった。毎局勝負に絡んでくるその姿勢が強者ではないような気がするが、常に大物手を仕上げてくる。マンガン以下を一回もあがらなかったのではないか。強かった。
 数時間打ち、客が来たので抜け、帰るまでの数分親父の後ろで麻雀を見てみた。配牌がいいわけではない。ただ安上がりを拒否し、はじめからマンガンを作りにいくという打ち筋だった。
 強いですね、といった。どうしてそんな風にあがりに向かえるんですか。と聞くと、親父は嬉しいのか千点棒をこちらに投げ、投げ返してみろ、という。

投げ返した。

今、投げるときどこを見ていた?

親父のほうを見ていたはずだ。そうだ、と親父はいう。キャッチボールと同じだ。手元を、ツモをいちいち見ちゃいけねえ、大事なのは向かう先。見るのは上がり形だけさ。という親父の最後に見た上がりは綺麗なメンチンだった。

たまにはいいなあ、と息子は喜んでいた。そうだなあ、と返した。息子のグローブをじっと見て、目をそらさないようにボールを投げた。
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2013年6月4日火曜日

タイムマシーンベイベエ

 歩いていると、後ろから小汚い中年男性に肩を掴まれた。こちらの顔を見ると、にやりとし、口早にこうまくし立てた。
「これを読んでください。あなたの大事な人からですよ」
「なんだよおっさん、俺いま急いでるんだけど」
「私は頼まれただけですから」男はそういい、一枚の紙切れを残し去っていった。
 紙にはこう書いてあった。『三人はグル。3局目から牙を向く。対面が上がり役で脇はブラフだ。2sだ。キーは2sを振らないこと。信じろ。』

 一局十万、トップ総取り麻雀。麻雀連盟の先輩たちから誘われた。これは連盟の昔からの風習で、新入りはここで勝つとげんがいい、なんていわれたが、どうでもいい。目の前の金は拾う主義だ。だが3人が組む出来レース麻雀か、それにしてもあの親父は何者?
 悩んでいるうちに雀荘につき、先輩に囲まれた。
「金は持ってきたか?」
「百万あればいいですか?」
「少ないがまあ負けたら貸しといてやるよ」
「多分その心配はしなくていいですね」と挑発をしてみたが先輩たちはにやにやと笑うばかりだ。どうやらぐるというのもあながち間違ってはなさそうだ。

 半荘を二回終わり、2回ともトップだった。牌がいい。吸い付いてくる。負ける気がしなかった。60万の収入。勝負の途中で金の多寡を考えるのは運が逃げるというが、それは違う。いかにこれを守りきれるかが博才だ。
「半荘5回にしましょうか。だらだらやってもしようがないし。」というと先輩が色めきたった。勝ち逃げさせるわけにはいかないと。「ではレートあげましょう、いくらでも」
 三回目の半荘が始まった。親父の紙では対面が上がり役。だが関係ない。麻雀ってもんはいつもの自分をどれだけ再現できるかにある。
 三軒リーチがかかる。場流れのルールはない。
 対面をケアするなら2s。だが上家が親。親の安牌を切るのがベターではないか。いつもなら親の安牌、南を切るだろう。
 タバコを吸おうとポケットをあさると先ほどの紙が地面に落ちた。拾い、ふと見る。
『2sだ。信じろ。』
 じーっと紙を見つめ、くしゃりとつぶした。南を強打する。あの親父が相手とぐるという危険もある。それに、人に言われて何かを決めるなんてことがしたくないから、こんな商売を選んだんだ。
「ロン、ちょいと高いぜ」13種の異なる牌が目にちかちかと移りこんだ。
 それからは振込みの連続で200の借を背負うことになった。あの時あの紙を信じていれば、とは思えなかった。たらればは博徒の禁句だし、なにより麻雀は一人で打つものだ。

 5年経った。借は2000まで膨らんでいた。働けど働けど、打てど勝てど吸い尽くされる。もう終わりかもな、と思うところに、奇妙な男が表れた。昔の自分にラブレターを出すとしたらなんと書きますか?と男はいう。よく見るとあのとき手紙を渡してきた怪しい親父のようにも見える。
『三人はグル。3局目から牙を向く。対面が上がり役で脇はブラフだ。2sだ。キーは2sを振らないこと。信じろ。』と書いた。その後に、なにか一言書き足そうとしたが辞めた。これが人生って奴だ。南を打つはずだ。だが、間違っていない。落ちぶれた今、南を打てるのか。怪しい。最近は何を信じていいか分からなかった。簡単じゃないか。

「ありがとよ」と男に言うとにやりと笑った。自分を信じる。ただそれだけだ。タバコに火をつけ、卓に座った。この日は久しぶりに、牌が手に吸い付いてきた。

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