私の雀荘は駅から近いこともあってか新規の客が多い。ある暑い夜、暑苦しいのに皮ジャンを羽織ったオトコが来店した。夜にも関わらずサングラスをかけていた。
もう帰ろうかと思っていたスタッフに頼み残ってもらい、数局打つことにした。
サングラスは、目が見えないので年齢が分かりにくかったが、比較的若いだろうなと思った。なにより、麻雀が瑞々しく若々しかった。
サングラスはすべての局に参加し、噛み付くようなタイミングで牌を曲げてくる。脇のスタッフはうっとうしそうに早々と準備した安牌で撤退を始めていた。麻雀というのは、基本的にはどれだけ降りられるかが実力を決める。
ふと、この若々しい若者から、私は逃げ切ることができただろうか。と、そう思った。
長年雀荘の店長を勤め、少なからず負けない方法は分かってきた。
無駄な感情をこめず、無駄な勝負を避けること。
だが、ギラギラと押し倒してくるサングラスの麻雀こそが、一番麻雀に必要なもので、私がなくしたものなのではないか。
サングラスのリーチに対し、無筋を何枚も押し、ノミ手を曲げた。運よくサングラスが掴み、リーチ一発のみ。裏が乗らないのは、確実に何かが私に足りないことを物語っていた。
その日、私とサングラスは貪りあうように求めあった。唇を奪うようなリーチに、押し倒されるようなダマテン、奥まで突かれるような倍マン、刺激的な、甘美な夜だった。
麻雀は会話である。しかし、私はその上の領域に性行為のような麻雀もあることを知っている。永遠に続く射精とはこうであると感じるような焦燥感、初めて女を知ったときのような充実感。そんな麻雀がまだできたことに私は素直に喜んでいた。
あの稲妻を人間にしたかのようなサングラスとはそれ以来あっていない。タバコに火をつけ常連のリーチに対し降り打ちを始めながら、ふと、そのオトコのことを思い出した。
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